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奇祭『どんつき祭り』

 2月の第3週に『赤谷どんつき祭り』が開催されます。毎年、参加しているこの祭りは700年以上の歴史があります。

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 平安時代末期の源平合戦で現在、祭りが開催される山神社の場所に赤谷城本丸を築き、一帯を支配していた武将、城長茂(じょう・ながもち)。1181(治承5)年、平家方の長茂は1万の軍勢を信濃に差し向けました。信濃には当時の平氏政権に反旗を翻した武将、源義仲(みなもとの・よしなか)が挙兵していました。


両軍は現在の長野市で交戦し、この戦いは「横田河原の戦い」として知られています。長茂の軍勢は1万人、義仲は3千人。長茂の軍勢が多く優位と考えられていましたが、地理的要因などもあって長茂は敗北したそうです。その後は会津への敗走を経て赤谷に戻り、失意の日々を送ったそうです。


 その戦いに負けた平家の落人が『赤谷どんつき祭り』を始めたとい説が有力です。

祭りというと、五穀豊穣や家内安全、商売繫盛といったように豊かに生活できるように祈願するものが多いと思いますが、『赤谷どんつき祭り』は呪いの儀式…いわゆる呪詛として始められたもののようです。

長茂が戦に負け、落人とともに源氏方への復讐を願い、「胴を突く(敵将を突く)」という意味で祭りを始め、「胴を突く」という言葉が訛って『どんつき祭り』となったとされています。
呪詛と分かれば報復されるかもしれことから、「祭り」として始まったもの言われています。
呪詛の色彩が濃かったのは700年以上の歴史の中で初めの頃に限られ、現在では五穀豊穣や家内安全などを願って開催されるようになりました。


 極寒の2月の夜、ふんどし姿の男衆は山神社の拝殿や境内でもみ合います。もみ合うと摩擦で寒さが和らぎますが、肌が擦れあいヒリヒリと痛くなります。

それを防ぐために雪をかけられ、雪が溶けた水分で肌と肌の潤滑になります。しかしながら、雪と水分が原因で体温が上がりません。これを1時間ほど続けます。

また、他の裸まつりは松明を持ったり、どんど焼き塞の神といった大きな炎の周りで行われることが多いですが、『どんつき祭り』は男衆の肌を擦る摩擦しか暖がとれません。辛い祭りであるからこそ、呪詛(現在では祈願)の力が強いとされていたのかもしれません。

700年以上続いた祭りですが、コロナ感染対策で3年前から中止(祭事のみ実施)となっています。

今年の『どんつき祭り』は、2月18日…残念ながら今年も中止となったようです。

来年こそは男衆の活気ある姿が戻ってくることを願うばかりです。